分かろうとすることを疑う

この手の世界(どんな世界だ笑)では、よく、「分かりません」とか「腑に落ちません」なんて見かけます。

でも、分かりたい、って言う時は、なんか秘密みたいのがあって、それは、今は自分には隠されていて、見えていない。

それが見えれば分かるのに・・・って感じではないでしょうか?

でも、ちょっと待ってください。

実は、もう、秘密は全部目の前に明かされていて、素っ裸で、そこにある、としたら。

つまり、秘密があってそれを自分は見ていない、って前提は間違いで、秘密なんかなくて、目の前に、正にいまこの瞬間に起きてることが、全部、答えそのものだとしたら・・・

あなたがすることはひとつしかありません。出来ることはひとつしかありません。

私の感じですが・・・この肉体のある世界には、時間の流れ=因果があります。

つまり、目の前で起きてることには原因がある。

そして、上で書いたように、既にあからさまにされているなら、原因もあからさまになっているはずです。

例えば、今、お金が自由に使えていないと感じる現実があるなら、その原因は、単純に「お金が使えていない」という因を作り続けている。

だから、果として、「お金が自由につかえていない」現実がある、とも言えます。

「そんなことはない!お金を十分手にする活動を一生懸命してる!」っていうかもしれません。

でも。もし。

秘密は全部目の前に明かされていて、素っ裸で、そこにある、としたら。目の前で起きてることには原因があるなら。

そして、今、思うようになっていないなら・・

お金を得るために一生懸命頑張る活動をする、っていう方向性は、今のあなたには、方向違いの頑張りかもしれません=ホンネとずれてる。

これは、お金に限らず、人間関係でも、その他でも、みんな同じです。

この肉体がある世界には、因果=時間の流れがある、なら、しかも、秘密はなく、全部あからさまになっているなら、今一度、自分の気持ちをみるほうが良いかもしれません。

自分の現実を淡々とみて、因を生み続けていないか、検証すると良いかもです。

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