進む楽しさ

つい先日、一番最初に勤めた会社の友人、先輩と飲む機会がありました。感じることが多かったので書きます。

感じたのは【こなす、やり過ごす人生ってつまらない】ってこと。

どういうことかというと、友人が大きな企業に勤めていて、じきに定年を迎えるにあたり、先に定年退職した先輩に、一生懸命に、老後、いくらあったら満足に暮らせるのか、それはそれは真剣に聞いていたこと。

会社から退職金をいくらもらえて、月々の年金がいくらで、家賃の払いがいくらで、、足りるのか、、、。これに対して先輩は、5000万円あれば行けるかな、なんて話していました。

まるで、RPGで、宿屋もなくモンスターも出てくるが、残りの薬草も少ない大草原をどうやって過ごすか、みたいな。

ちょっと「えっ?!」って感じで。足りなきゃ稼げばいいじゃん、なんでもやりゃあいいじゃんって思った訳です。

こう書く(こう言う)と、「私には自ら稼ぐスキルも無いし」って考える人もいると思いますが、今回の定年の話なら、どうせ会社辞めんだから、いくらでも思い切ってやれるだろ、と思ったわけです。

完全に思考停止なわけです。

もちろん会社にいても、スキルも上げれるわけで。どうせ無理、とか言ってる暇あったら、本の一冊も読んでみたら、ってことです。

会社から与えられた条件と枠組みの中から出るタイミングなのに、未だに縛られてるわけです。まあ、それだけ会社はうまく縛ったとも言えますが。

今、テクノロジーの進化や変化はめちゃくちゃ早いし、ライフスタイルだって相当変わってます。ひとつの会社に長くいた間に縛られた枠組みなんて役にも立ちません。

退職金でそれなりにもらっても、残り20年以上、のこり残金はいくら?なんて過ごすのは楽しいのか?

いま、お金そのものは揺らいでます。信用経済がイキイキと出てきている。「アイツになら、アイツの夢なら俺もだそう!」っていうクラウドファウンディングも活発です。

そんな時代に、残りの人生を【やり過ごす】ために使うなんて、私には出来ません。

今までつかんできたモノゴトの見方、考え方を捨てる、怖いけど止める。そして、たた、自分が本当は何がしたいのか探ってそこへ向かって、ひたすら走ればいいだけです。

ブログでは、名前を付けて、自分で縛ってるから苦しむって何度も書いてますが、おんなじ話です。

本当は何も決まってなんかいません。何度も何度でも、やればいいだけです。

ちなみに、会社とは形を変えたエゴシステムであることを忘れない事です。

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