認識の変更 第2章

MindSwitch認識の変更についての記事です。

書きっぱなしになっていたので続きです。あと、今後はこのブログはMindSwitch系記事とLifeSwitch系記事についてハッキリと分けて書いて行きます。そして、私が自然と心地よく書きたいように書きます。

冒頭のように「◯◯系記事です」と書きます。LifeSwitch系記事は「ホンネの願いは自然に形になる」ってことをベースにしてます。またMindSwitch系記事は、自分とは何か?世界とは?自分=世界って?既にある、とかそんな内容です。ちなみにどっちも私本人的には全くスピリチュアルでもなんでもない、って肌身で感じています。

では記事です。

■相手はいない!!?

認識の変更0章では、「無い!」ってことの勘違いについて書きました。

今日は、2番めの【相手や対象、自分を変えて改善しないといけないという誤解】についてです。

そもそも、認識変更すると自分と世界の分離感は激減するか「そんな分離は全く無かった」ってことが腑に落ちます。ですが、そこに至らない間は、自分と相手、自分とそれ以外、自分と何か、といった具合に「分かれた関係」があるわけですね。

今の自分が超気に食わん!!!って時は「なんとかこの自分を変えにゃ〜いかん!」なんて思ってるわけです。また、相手の人、上司やら恋人やら友人や家族をなんとか思うように、自分の思うようにしたい、またそうしないと「私の環境は変わら〜ん」って思っていたりもします。

ここ勘違いです。全く勘違いです。

よく他人は変えられないなんて言いますが、そのとおりです。というか変える必要もないです。

そもそも認識、この場合は「私がいてそれ以外の何かや、誰かがいる」ってのが認識なわけですが、大体、「私」なんてどこにいますか?って話しです。

「私はここにいる!」って手で身体を触った方。それは、からだです。私じゃありません。

「考えているよ、私は」って思った方、では寝て、グースカいびきかいてる時は、「私」がいないことになります。

自分=世界について、「身体があって考えて話して感じて五感を働かせてる自分、と、世界が同じってどういうことだ?どうしたら同じになるんだ?」ってあなたが考えているなら、認識の変更は、まあ来ません。

どこをどう見ても、この身体と目の前のアイスカフェラテは違います(とあなたは思っています)。違っているのに同じってどういうこと?って悩んで、自分=世界の認識に至ろうとしてるならそれは無理です。変更なんか出来ません。

そもそも、物理的な感覚で違うのに、それを「同じ!」なんて認識出来るようにアタマは出来てません。

だから!

認識の変更、自分=世界とは、「物理的感覚(五感や思考も含みます)のソト、外」の話しです。だからもう一度書きますが、「身体があって考えて話して感じて五感を働かせてる自分、と、世界が同じってどういうことだ?」ってのは、出発点がそもそも違います。

アレとこれ、水の張ったコップとアイスカフェラテ、本とスマホ、それ見てる自分、って構造からは「自分=世界」は決して見えません。自分と世界が同じ、だからこそ自分=世界ですが、【アレとこれ、水の張ったコップとアイスカフェラテ、本とスマホ、それ見てる自分】って分離作りまくりなのに、自分=世界にはなるわけないです。

つまり、分離感が多い間は、または分離がある(=アレとこれ、水の張ったコップとアイスカフェラテ、本とスマホ、それ見てる自分)間は、自分=世界には至りません。

■あるように思っていただけのことだった!に気づく

私が、一番最初に「ああ、自分っていないかも」ってなったのはセドナメソッドをなるほど流にアレンジしてやりまくっていたころです。今から3年くらい?前ですか、そのころです。

セドナメソッドの詳しいのはググっていただくとして、なるほど流セドナメソッドの肝は「感情という揺れ動く実体がないようなものが手放せるなら、他にも手放せるかも」ってとこにあります。

例えば、思考、これも感情同様に揺れ動きますね。また、変わらないように見える身体もすべてではないものの、かなり入れ替わる、つまり変化して揺れ動くわけです。要は、私たちが「変わらない」って認識してるもののほとんどは「揺れ動き、固定的実体が存在しない」ってことです。「じゃあ、ほとんどなんでも手放せるんじゃないの?」がなるほど流セドナメソッドの始まりです。

ここでは詳しく書きませんが、自分を形づくっている、と当時思っていた要素、考えるとか話すとか五感とかそういうものを、「揺れ動き実体がないものとして」全部手放した時、「いわゆる今まで身体があって話してが自分と思っていたが、そんな自分なんて、どこにもない」ってハッキリと意識できました。

あなたは、アレとこれ、水の張ったコップとアイスカフェラテ、本とスマホ、それ見てる自分って「固定的に」ものを見てますが、実体は揺れ動き変化してる。

自分とアレ

自分とコップ

自分とアイスカフェラテ

自分と彼女

って分離して固定的に見て認識してますが、要はそれは嘘っぱちってことです。それは揺れ動き実体がない、固定的なものではない、ってことです。

となると・・・・

自分だ!〜 世界だ〜 俺が今こうなのはあいつのせいだ!とか、アレが原因で、私はこうなった〜なんて固定的に軽々しく言えない。ひょっとしたら、それは、それらは、固定的な分離なんかしていない、全く一、つまり自分=世界は同じかもしれないということになるしかありません。

と、こう書いても「そんなこと言ったってアタマでは分かるけど実感が伴わないよ」ってあなたはいうかもしれません。

もし、そうなら、もういちど、目の前を、そしてあなた自身を見てください。

固定して動かず不動で分離しているものなんか、どこにもないじゃないですか。たった1秒前と1秒後ですら、全てが変わっています。固定なんかしてません。固定して分離的、独立のものなんかありません。あなたがそう思い込もう、「今の私は◯◯っていう固定的原因のせい」ってしたいからにほかなりません。

だから、そういった固定的分離的物事の見かたをやめる、という言うより、そういう固定的認識は嘘っぱちじゃね!?って疑う、ここから自分=世界が始まります。

もう一度書きます。

アレとこれ、水の張ったコップとアイスカフェラテ、本とスマホ、それ見てる自分って認識してる間は認識変更しません。あなたが物事に名前と言葉をつけて固定的に分けてる間、変更しません。

MindSwitch認識の変更では【リムーブメソッド:通称名無しメソッド】を使って、この偽りの分離感を木っ端微塵にします。

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3つの勘違い

1、無いものを手に入れようとする誤解

2、相手や対象、自分を変えて改善しないといけないという誤解

3、何かしないといけないという誤解

今日は、2についてでした。

 

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