ひどく落ち込んでいる時や、めちゃくちゃ怒っている時、嬉しくってたまらない時。
こんな時には、かなり【自分】がいると思います。

大抵は、
「もう立ち直れん、、」とか
「あんのやろう!」とかなっているわけです。「あんのやろう!」の時は、自分自身じゃなくて、あたかも相手に対して意識が向いてるような感じがしますが、実は違います。

「あんのやろう!」って激しく怒っている自分がハッキリいるわけです。怒っている自分をちゃんと意識してます。

また、ある特定の何かにこだわっている時、例えば、とても思い入れの強い物を失った時なども同様です。更に、その失った原因が自分にあったかも?なんて思っている時にも、「ああ〜!あの時にあんな事するんじゃなかった〜」なんて時は、なおさら【自分】がハッキリといます。

なんか分からないけど、普段はアチコチに行っていて忘れていた【自分】がギュ、ギューっと圧縮されて中心に集まって【オレ、オレ】【ワタシ、私】って言い始める。

jibun

 

 

こうなると喜怒哀楽、あらゆる行為の真ん中に、自分が先ずいて、周囲に自分と異なるモノゴトが無数に存在する。

【自分】が先ずあって、モノゴトを体験するって思い込むのも無理はありません。が、この記事で書いてるように、「本当にそうでしょうか?」って事です。

あれが無い!これが足りない!って思って、何とかしようとする。その事自体は別に悪い事でもなんでもありません。

アレとコレを分け、比較して、差を見つけて【自分】がそう認識する、と思い込んで今まで来たわけですが、もし、【自分】がいないと言うことになると、「無ぇ〜」とか
「全然足りないじゃん!」とか、云っていたこと自体成り立たなくなってしまいます。

足りない、無いって認識してた【自分】がそもそもいないんですから、足りないもへったくれもありません。
※これは気付きの記事です。そういう視点で読んで下さいね。

上の方で書いた「もう立ち直れん、、」とか「あんのやろう!」っ無った時も、もしこの記事の内容を日頃実践して納得出来かけたりしてると「ん?!このめちゃくちゃ沈んでたり、めちゃくちゃ怒ってる【奴】ってなんだ???」ってふと、思い出したりします。

さすがに【自分がいない】と、腑に落ちなくても、【一体誰が怒ったり、沈んだりしてんだ?】という一瞬は訪れたりもします。

感情や思考を無くせ!というわけでは全くなく、行為の真ん中、感じたり、起きてる事の真ん中、見たり聞いたりする事の真ん中に、【ハッキリとした自分が果たしているのか】って疑問を持つ。

目覚めの始まりはこんなとこにもあります。